幸せに集う

『個性的』という言葉は多くの場合『善い評価』と捉えられがちですが、果たして本当にそうでしょうか?
もちろん、個性的であることは魅力的であり、貴重な資質と言えます。
ただし、『個性的である』のは自然ですが、『個性的であろうとする』のは不幸を招きやすいですね。
個性/Individualityとは、『それ以上分け(divide)られない(In)』単位のことであり、『あなたとわたしは違う』という分断意識を強めるからです。
個性的であるのは生来なので理にかなっていますが、個性的であろうとするのは相手との違いを無理矢理に求めています。
理(ことわり)にそむくのが『無理』であり、それはひずみを生み出します。

個性という価値を重視し過ぎない
わたしは美術/デザインの現場に長年いたので、『個性的でありたい』人や『個性的に見せたい』人をたくさん見てきました。
そこで言えるのは、本当に個性的な人は『自然』だということです。
『天然』と言ってもいいのかもしれませんね。
当たり前に違っているので、それ以上でもそれ以下でもないのです。
一方、個性的でありたい人は『不自然』です。きっと、自分と違うものになろうとしているからでしょう。
しかし、彼・彼女が悪いわけではありません。
世の中が『違う』ことに価値を置き過ぎたからとも言えるのです。
まるで、『個性がなければ無価値』とでもいうように。
それは、ある種の強迫観念とすら言えるでしょう。
けれど、そろそろその不毛なチキンレースはやめてもいいんじゃないでしょうか?

美点凝視と欠点凝視
他人との違いにフォーカスすることを『相違点凝視』と言います。
一方、同じところに着目するのは『共通点凝視』と呼ばれます。
あなたとわたしは違うと見るか、あなたとわたしは同じと見るかの違いですね。
そして、人間は必ず自分を正当化するので、相違点凝視は相手の個性を間違いとして捉えます。それを『欠点凝視』と言います。
同じ原理で共通点凝視で見れば、『美点凝視』が生まれます。相手の中にも、自分が善いと信じるものを見い出すからです。
欠点凝視の人には世界が間違いだらけで、辛いものに見えます。
かたや、美点凝視の人には世界は素晴らしく、幸せなものに感じられます。
あなたはどちらの世界に住みたいでしょうか?
人が集まれば、それぞれに違った個性が存在することになります。
それを美点凝視で捉えるか、欠点凝視で捉えるかによって、あなたの幸せ度は大きく変わってくるわけです。
カードゲームへの展開
2007年に東麻布で個展を開いたのを最後に、わたしは美術の世界から少し離れました。
『金輪際、展覧会は開かない』とか、『美術の世界とは縁を切った』というほど厳しい決意ではなく、もっと『楽しいもの』がつくりたくなったのです。
その時、わたしの頭にひらめいたのは、幼少の頃にいとこたちと遊んだトランプでした。
トランプのように『みんなで和やかに楽しめるアイテム』がつくれないだろうか、と。
調べてみると、テーブルゲームのメッカはドイツであり、たくさんのカードゲームやボードゲームがあることを知りました。
そして、実際に自分でもカードゲームをつくり始め、その後のライフワークとなっています。
直近でつくったのは、企業研修用の『人狼&人労ゲーム』です。
人の欠点ないし弱点を探す『人狼』をベースに、美点を探す『人労』を新たに考案し、セットにしました。
『疑う意識と感謝する意識、まどわす言葉とほめる言葉の違いがわかる』と大好評です。

過去と未来の物語り
興味と活動がカードゲームに至るまでの、さらに詳しいストーリーは『家族の肖像』としてまとめました。
『人狼&人労ゲーム』の方は、その後『一般社団法人 人を大切にするビジネスゲーム推進協議会』という団体をつくり、普及に努めています。
前者は過去の物語りであり、後者は未来の物語りと言えるでしょう。
ご興味がわく方に、お進みください。