『できる』と思うことの大切さ

この投稿は、2019年9月16日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。

この頃、自分の中では

『がんばれ、日本』的な感覚が

強くなっていたようですね。

まだ、コロナは全然関係ない時ですが、

今の時世にもダイレクトに関係しています。






かつて

『スポーツ根性もの』という

ジャンルがありました。

マンガで言えば、代表的なのは

『巨人の星』『タイガーマスク』

などです。

 

どんな逆境にも『根性』で立ち向かい、

乗り越えていくドラマ構造です。

が、今では

古臭い考え方として一蹴されますよね。

スポ根の象徴とも言えるウサギ跳びも

『下半身を痛める』として

禁止されるようになりました。

では、『全然ダメなものだったのか?』

とあらためて考えてみると、

スポ根にもいい面はあったのだと感じます。

それは『できる』と信じることです。

確かに、

そう考える根拠が『根性』というのは

あまりにも非科学的ですし、

効率もよろしくありません。

ただし、そもそも夢に根拠など必要なく

『願った人しか叶わない』のだとすれば

根拠を根性に求めても構わないわけです。

星飛雄馬は『巨人の星』になりたい

と思ったからこそ、そうなれたんですね。

目指してないのに『たまたまたなった』

というドラマではありません。

ちなみに、苗字が『星』というのは

ややこしい設定です。

意味あい的には

『巨人を背負って立つスター』なのに

入団した時点で『巨人の星』には

なっているわけで……(笑)

田中飛雄馬だったら

『巨人の田中』という感覚です。

時代が進んで、

『根性』『できる』根拠には

しなくなりましたが、

ついでに『できる』と思うこと自体を

辞めてしまった感じがします。

 

それが、日本の元気の無さに

つながっているのではないでしょうか?

『できない』『できそうにない』

と潜在心理が信じていることはできません。

つまり、無くなったのは根性じゃなくて

『できる』という感覚ではないか、と。

『根性だけじゃぁ、太刀打ちできない』

という冷静な判断ですね。

 

闇雲な根性論は悲劇を招きますが、

冷静な日和見主義は劇自体を否定します。

『踊らない』『踊らされるのは嫌』

という感覚です。

しかし、せっかっくの人生ですから

『それはおかしい』とわかっていても

踊る方が楽しいのではないでしょうか?

それが今回のブログのタイトルに

込めた思いでもあります。

「踊る阿呆に見る阿呆

 同じ阿呆なら踊らにゃ損々」ですね。

未来は自分でつくれます!