『できる時に、できることをする』というスタンス

この投稿は、2020年5月5日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。

珍しいことですが、

書いたことをあまり覚えていない記事でした。

『一貫性』に対する冷静な見解ですが、

そういう自分のスタンスには

『一貫性』があるという逆説です(笑)






意味もなく、

人を傷つけたり、おとしめたりする人はいません。

一見、そうしているように見えても、

そこには必ず意味、つまり理由があるものです。

ただし、では、博愛的に、

すべての理由を十全に汲んでいくことができるか?

すべての暴力的な人に正面から向き合えるか?

と言えば、

それは誰もができることではありません。

できる人もいれば、できない人もいます。

あるいは、同じ人の中でも

できる時もあれば、できない時もあります。

そこに幅を持たせず、

All or Nothing

つまり

『全部やるのか、

 全部やらないのか』

という話にすると、一気に辛くなりますよね。

昔、

『ホームレスにほどこしをするんだったら

 世界中の貧民にほどこしをしなければならない。

 それはできないから

 わたしはホームレスにほどこしをしない』

と主張する人がいました。

ニューヨーク在住の方だったので、

日本よりもホームレスの存在は身近でした。

そして、おそらくその人は

ホームレスを見かけるたびに心を痛め

十分なことのできない自分を

責めていたのでしょう。

上記の主張は、

その人が冷たいからというよりも

優しい人が自分の傷つきやすさを守るために

作り出した論理に感じられました。

冒頭に書いた

『意味もなく、

 人を傷つけたり、

 おとしめたりする人はいません』

と同じ原理です。

言葉の刃物を振りまわすのは、

何かを怖がっている人なんですよね。

ただし、だからと言って

常に、その恐怖を引き受けてあげられるものでも

ありません。

引き受けてあげられる時もあれば、

引き受けてあげられない時もあります。

それって、実はホームレスの人に対するほどこしと

同じスタンスなんですよね。

その時、わたしは

『ほどこしができると思う人はすれば善いし

 したくなければしなくても善い。

 同じ人でも、したいと思う時にはすれば善いし

 したくない時にはしなくても善い。』

と答えました。

その人は

『確かに、そうだね……』

と、少し脱力したように納得されたことを

覚えています。

肩に入っていた力が抜けた感じでした。

まさに、その力こそ

人を暴力的にしてしまう根源とも言えます。

『一貫性』は確かにとても重要で、

かつ美しいものです。

ただし、その緊張感故に

人を追い詰め、

怖がらせてしまうこともあります。

こだわりを持ちつつ、こだわり過ぎない

スタンスでありたいもの。

それって、ちょっと武道的ですね。

未来は自分でつくれます!