
少し前に「優」しいに「憂」の字が入っている理由を知り、
なるほどなぁ、と思いました。
一緒に憂えてくれる=悲しんでくれる人が優しいわけです。
一方、楽しませてくれる人は「俳」。
二つあわせて俳優ですが、
「優」しいに「憂」が入っているのと同じくらい
「俳」に入っている「非」がなぜ楽しいのか?
不思議でした。
あらためて調べてみると、
「非」には「そむく」という意味があり
常識にそむくからおもしろい、とのこと。
これまた、しごく納得です。
子供は親にそむく(は、言い過ぎかもしれませんが)
言うことを聞かないのを楽しんだりしますよね。
ありきたりの暮らしの中にこそ幸せはあり、
あんまりおもしろ過ぎると不幸になったりもしますが、
「おもしろさ」を求めてしまうのは人の性。
そんなこんなも思います。
おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなしものは心なりけり
ですね。