オンラインの活動は独立的であるべき

この投稿は、2020年6月15日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。


『リアル重視』というか、 現実身体の管理を至上とする考え方に 軽く警笛をならした内容ですね。 まさに、時代の節目の感慨です。





わたしは

『オンラインの活動は独立的であるべき』

だと考えています。

『独立的』という言葉は、

いろんなニュアンスを含みますが、

わたしが指摘したいのは

リアルなしきたりと切り離して、

それ自体で成り立つべき、

という意味合いです。

『Zoomは目上の人から退出するべき』

なんてきまりが、

冗談めかして語られたりしますが、

それが冗談であってくれることを祈ります(笑)

導線に関しても、そうですね。

QRコードは

リアルとオンラインを比較的スムースに

つなげてくれますが、

リアルな広告からの

ちょっと無理やりな誘導もたまに目にします。

たとえば、

バスの車体に貼り付けてあるプレートなどに

URLが書かれていると、

わたしはちょっと

悲しくなってしまうんですね。

『それは覚えられないよなぁ……』と。

住所や電話番号だって、

もちろん簡単には覚えられません。

ただ、

住所は場所を思い浮かべるきっかけになりますし、

電話番号には気のきいた語呂合わせを

つけられる可能性があります。

しかし、URLはなぁ……と。

確かに、サイトが開ければ

そこからたくさんの情報は得られるわけですが、

その入口が移動する車両に書いてあっても

機能してくれないと思うんですね。

逆に、

オンライン側にリアルなしきたりが

強く求められるケースもあります。

冒頭のZoomの退出順番は冗談だとしても

時間や空間のしばりつけを

強く求められる場合です。

本来、インターネットはいつ・どこにいても

つながれることが魅力なのに

テレワークのコアタイムに固執したり

『パソコンの前に座っていなさい』という

管理意識の強い会社があります。

というか、従業員を信頼していない

経営者と言うべきでしょうか。

そう言えば、

インターネットの黎明期には

『先ほど、メールをお送りしたんですが……』

と、確認の電話を入れるなんてことを

していましたね(笑)

さすがにそれは極端な例ですが

オンラインが持っている『自由度』

もっともっと大切にしたいと思うわけです。

リアルの場で

無理やりオンラインの利便性を使おうとしたり、

逆に、オンラインの自由度を

リアルな不安でしばろうとすると

だいたいおかしなことになっていきます。

それが『オンラインの活動は独立的であるべき』

という言葉に込めた、わたしの思いです。

それぞれの善さが、

それぞれの空間で生かせると善いですよね。

未来は自分でつくれます!