人間は驚くほど鋭く、そして鈍い

この投稿は、2020年4月21日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。

読み返してみて、

自分でもちょっとほっこりなりました(笑)




多くの方が、電子書籍に関して

『情報量が多い』

というイメージを持っていらっしゃると思います。

本棚一個分の書籍情報が

まるまるスマホやタブレットに入るからです。

しかし、わたしは電子書籍を

『情報量が少ない』

ものだと捉えています。

確かに、持ち歩ける情報量は

圧倒的に多いのですが、

インターフェイスに関して言えば

光が点いているか消えているかの

わずかな情報量しかないからです。

一方、紙の書籍や雑誌は

紙自体の持っている繊維質の情報に

インクの微細なにじみが加味された

圧倒的な情報量を持っています。

ここで言いたいのは

『だから、やっぱり紙がいいんだよ』

ということではありません。

人間の目というか、感覚というのは、

実は恐ろしいレベルの情報を

感じとっているんですよ、と。

そのことを指摘したいのです。

今では、ディスプレイ自体が

ものすごく高性能になったので、

ずいぶん違和感もやわらぎましたが、

初期の電視書籍のパサパサ感は、

画面の情報量があまりにも

少なかったからなんですね。

そして、意味のレベル

つまり言葉の遣い方に対しても

人間は非常に細かいレベルの

違和感をキャッチします。

ただし、おもしろいことに

自分ではそれほど能力が高いと

思ってないんですね。

能力の鋭敏さに対して鈍いというか。

タイトルの

『人間は驚くほど鋭く、そして鈍い』

に込めたのは、そうした意味あいです。

たとえば、人は

行間にうっすらとにじむ『ひるみ』

見逃しません。

『この人、なんか本気じゃないな』と。

あるいは、逆に

控えめな中にも秘めた覚悟で

『なんだか、説得されちゃった』

ということもあります。

そういう感覚を、

よくわからないままに使っているのです。

自己啓発では

『運命を変えたかったら

 つきあう人を変えましょう』

といったことが言われますが、

『これくらいは分からないだろう』

と思う人と一緒にいると

いろんなものが分からなくなっていきます。

逆に

『誤魔化したって、ばれないわけない』

という人たちといると、

そりゃぁ、基準が厳しくなりますよね。

自分を高めようと思ったら、

『分かる』人といる方が善いわけです。

『村の祭り酒』という寓話があります。

ある村で、

農作物があまり取れなかった年

それでもやっぱり『祭りはしよう』

ということで、各家から湯呑み一杯分の

酒を持ち寄ることになりました。

家から持ってきた酒を一旦樽に集め、

祭り当日にあらためて乾杯をしたら

なんと見事に『水』だったというお話。

『自分一人くらいはばれないだろう』

と、みんなが考えたわけです。

同じことをやったとして、

今まで飲んだことのない

美味しいお酒が飲める村だと

嬉しいですね(笑)

未来は自分でつくれます!