公私の判断基準



司馬遼太郎さんの小説『世に棲む日日』に

幼い吉田松陰が師である玉木文之進に

蹴り殺されそうになる場面が出てきます。

で、その理由というのがなんともすごくて

授業中に蚊にさされた頬をかいたからなのです。

「公の為」に学んでいるのに「私ごと」を優先するとは

何ごとか、と。

 

それを読んだ時には「いくら何でも……」と思いましたが、

反面、公に対する厳しい姿勢という意味では

どこか納得している自分もいました。

 


かつての日本はとにかく公的意識の高い国でした。

結局、その息苦しさに対する反動が「好きなこと」を

重視する個人主義へと向かわせたのだと思います。

ただし、そうして生まれた個人主義は

明るい開放感だけでなく

「好きなことをしなければいけない」という

逆向きのプレッシャーやお互いを監視する

ゆがんだ同調圧力も同時に発生させました。

 

 

公私の選択がある場合に

私を優先させると(短期的な)利益が手に入ります。

一で、公を優先させると尊敬が得られます。

尊敬は心の蓄財ですから、長期的な利益に結びつきます。

命をつなげるためには目先の利益も大切ですが、

少ない実りを全部刈り取ってしまっては種が残りません。

 

公の重視とは、めぐりめぐって豊かな穂を実らせる

土壌や環境への信頼なのだと思います。

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