固執を捨てて、晴れやかにいきましょう

この投稿は、2020年3月16日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。

前年に思い浮かんだイメージでしたが、

そこからいろんなことが整理されていきました。

自分もふくめて『人を責めなくなった』というのが

やはり大きいですね。

『仮想的』という言い方をしたりもしますが、

人間を責めると辛いことになりがちだと

腑に落とせたきっかけとも言えます。






ようやく、

自分が何と戦っているのか

戦うべきなのかが、わかりました。

それは『昭和の亡霊』です。

もちろん比喩であり、

霊能力的な意味ではありません。

言葉を変えれば、

『時代が変わっても

 残っている固執的習慣』

と言えます。

たとえば

『力による解決』ですね。

善い会社や幸せな家族には

お互いを思う気持ちに満ちており、

『ありがとう』が頻繁に聞かれます。

一方、ブラック企業や

すさんだ家族では

ののしりあう言葉が多く聞かれ、

ものごとは力で解決されます。

いや、正確には

『解決しようとされる』

といった方がいいでしょうか。

本当の意味で

解決されるわけではないからです。

人の心が荒れた組織では

怖がらせることで相手を支配しようとし、

残念な場合には実際に暴力がふるわれます。

もちろん昔からそうした習慣はあり

昭和に固有の特徴というわけではありません。

しかし、平成(1989年〜2019年)

の30年間を通してさまざまな研究が進み、

人の意識も大きく変わりました。

それでもなお残る残念な悪癖を、

わたしは

『昭和の亡霊』

と呼びたいのです。

今は令和。

さすがに2時代前のまつろわぬ固執的習慣は

きちんと成仏させてあげたいな、と。

そして、この考え方の大きな利点は、

そうした悪癖と人を分けて考えられる点です。

すさんだ感受性や好ましくない行動を

その人固有のものと捉えるのではなく、

『取り憑かれた亡霊』

を因とすることで、人に優しくなれます。

罪を憎んで人を憎まず、ですね。

そのことに関しては、

こちらの投稿に詳しく書いたので

あわせてお読みください。

参考記事:

『失敗しても懲らしめない、ドラマが善いですね』

また、東京が特に昭和の気配を

色濃く残す街であることは

こちらの投稿で指摘しています。

参考記事:

『コロナ騒動がもたらす「再生」意識』

上記の投稿でも指摘していますが、

固執的感覚って

最初から悪いとは限らないんですよね。

むしろ、往々にして

最初は善いものだったりします。

しかし、時間が流れ、時代が変わっても

なじんだ考え方を変えようとせず

『まわりが分かってない』

と思い始めたら、亡霊化の始まりです。

特徴は『他責』ですね。

自分の責任を大らかに引き受け、

晴れやかにいきましょう。

未来は自分でつくれます!