時代の浅瀬の渡り方



何かを教えるのではなく

気づかせることが大事だなと思い、

 

例によって「教」の語源を調べてみたら

ちょっと驚きでした。

 

『教』の「孝」が

老人と子供をあらわすのはいいとして


「攵」は殴った時の「ボクッ」という

音をあわらしているのだとか。

 

体罰かい!

 

 

漢字にしろ、英単語にしろ

語源というのは本当におもしろいですね。

 

意味やイメージが生まれた時の

生の感覚を味わわせてくれるからです。

 

 

近代は「ああしたら、こうなる」という

因果関係の発見と応用によって発達しました。

 

そこでは、得られた知見を伝えることに

大きな意味があったので、

「教」えることがとても重要だったのです。

 

が、さらに知恵の進んだ現代では

古い教えは必ずしも有効に機能するとは

限らなくなりました。

 

つまり、

教えることの中にある暴力性が

発展を阻害してしまうようになったのです。

 

 

いつの時代でもそうですが、

大切なのは求められる変化に対応すること。

 

 

そして、

変化が誰にでもわかる激流になった時には

すでに手遅れであることが多いものです。

 

むしろ変化の兆しは浅瀬にあらわれます。

 

『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』ですね。

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