時代は中世と近代のいいとこ取り

更新日:2月16日

この投稿は、2019年12月19日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。

個人的な資質や環境の影響よりも、

『もっと大きな文化的潮流があり、

 みんなでそれを気持ちよく乗り越えましょう』

という、わたしの基本的スタンスができてきた時期ですね。





善いところをほめて伸ばすのと

悪いところを指摘して改めさせるのでは

どちらが善いでしょう?

前者を『美点凝視』といい

後者を『欠点凝視』と呼びます。

心理学にしろ、自己啓発にしろ

建設的な考えを展開する人たちは

『美点凝視』を推奨します。

負のエネルギーを燃やすより、

正のエネルギーを活用した方が

健全で成果も出やすいからです。

ただし、巷では多くの場合

後者の『欠点凝視』が選択されますよね。

『選択して』というよりも

『ついそれをやってしまう』と言う方が

実情に近いかもしれません。

美点を探すには努力と工夫が必要ですが、

欠点はすぐに目につくからでしょう。

そして、

そもそも近代の意識自体が

先行する技術や考え方の

否定によって発達した

という背景もあります。

伝統や慣習に反発し

新しい技術や知識を求めることで

近代社会は発達してきました。

つまり、わたしたちは

大きな資質として反抗心をいだき

先行するやり方を疑問視する感性を

持っているわけです。

そのため、

ついやってしまう欠点凝視にしても

個人の資質や個別集団の慣習にだけ

原因を求めるべきではない、

というのが、わたしのスタンスです。

それをすると、これまた『つい』

自分を責めてしまいますから。

ざっくりと言えば

20世紀をピークとする改善活動は

『欠点凝視』の文化でした。

日本人はその活動に向いていた

とも言えますね。

少し茶化して言えば、小姑文化です。

しかし、

時代はもっと大らかになっています。

より善いイメージを描き

それに向かって歩みを進める中世と

新しい希望を持つ近代の

いいとこ取りにシフトしているのです。

意識変革が必要な由縁ですね。

未来は自分でつくれます!