未来が描ける人は、他人を責めない

この投稿は、2020年6月28日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。


「人を責めない」というのは

わたしの人生の大きなテーマになっていますが、

それがかなりハッキリと見えてきた頃の記事。


今はさらにもう一段、二段

思索が深まっていますが、

ここでの気づきや思いの変化は大きかったですね。





今回のタイトルは、ちょっとひねりました。

『未来が描ける人は、他人を責めない』と聞いて

『そりゃ、そうだよね』と、すぐに納得される方は

けして多くはないはずです。

そのことについて考えるには、

『責』という漢字の語源が善いきっかけになります。

『責』の上部は、もともとイバラのトゲを

表していました。

下部の『貝』は、お金です。

つまり、責めるって、もともと

『貸した金、返せよ』って意味だったんですね。

責めても、責められても辛いわけです。

借りたお金は返すのが当たり前なので、

転じて『責任』という概念も生まれました。

お金と考えると生々しいですが、

『ご恩』と考えると、善い感じになります。

責任感のある人って、

受けたご恩を返そうとしているわけで、

深いところに『感謝』があるんですね。

ところで、お金を貸す仕事というのは

取り立てる(=責める)ことが発生するので

辛い商売です。

一方、意外なことに、

慈善事業家もお金の流れ的には

ほとんど同じことをやっているのに

ハッピーで、人に喜ばれます。

ここが、今回のポイントです。

金貸しは、利子まで返せる人を相手に商売をして

返せない人には貸したままになりがちです。

ひどい取り立てをすることもありますが、

ともかく回収は困難になります。

かたや、慈善事業家は

購買能力のある人を相手に商売をして

お金が返せない(もしくは借りることもできない)

状況にある人たちに施しをします。

こちらも、そのお金が返ってくることはありません。

つまり、どちらもまわせるところでお金をまわして、

まわらないところにお金を工面しているわけで、

構造的にはとてもよく似ているのです。

では、何が違うのでしょう?

それは、時間のスパンをどこに取っているか?

です。

金貸しが受け取る『利子』

過去のどこかの時点で貸したお金が

現在までに利用した時間に対する対価です。

この場合、

『取り立てる=責める』行為が発生します。

たとえば、仕事の現場でも

『俺、お前に言ったよな』とか

『これ、教えたよね』といった

責め言葉が出てくることがあります。

それって、実は

『わたしがあなたに投資した時間を返してよ』

と言っているわけです。

一方、寄付されるお金が人を責めないのは

それが『未来』につながっているからです。

『出世払い』なんて言葉がありますが、

それは未来への投資とも言えます。

ものごとの伝達も同じです。

仮に、

一度伝えたことが伝わっていなかったとしたら

そこで利子の取り立てに固執するのではなく、

さらに未来に投資するのは、どうでしょう。

その場合の投資先は、自分です。

かつての言い方で伝わっていなかったとしたら、

それは証文なしにお金を貸したのと同じです。

相手が『借りた』と思っていないのですから。

しかし、同じことを別の言い方で伝えて

納得してもらえれば、先々、利益が生まれます。

一番の利益は、自分が受け取る『成長』です。

つまり、未来の自分に向けて投資ができる人は

他人を責めることに時間を使わないということ。

だって、『返せない』と言っている人を泣かせて

辛い思いをさせるより、

自分に投資をして自分が頑張った方が

より確実だと知っているからです。

それは『他人をあてにしない』ということでは

ありません。

勝手に何かを『貸したつもりになる』のではなく、

回収できる見込みの高い投資先(である自分)に

資源を使いましょう、という話です。

それは、先の見えない時代の

唯一確実な投資法と言えるかもしれません。

未来は自分でつくれます!