残したい思いと伝えたい思い

この投稿は、2020年4月19日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。

コロナによる変化を

少しでも前向きに捉えようとしています。






インターネットが使われ始めた初期には、

『商業利用は難しい』

と言われていました。

暗号技術が未発達だったので、

安全にクローズド情報を

やりとりできなかったからです。

『そもそも情報共有を目的とした

 技術なのだから、

 囲い込み的なビジネスに向かない』

とも、指摘されていました。

わたし自身も、

そう感じていたことを記憶しています。

暗号化に関する具体的なイメージや

知識がなかったからですね。

しかし、今やネットを介した商取引は

当たり前になっています。

むしろ、リアルな世界も

電視マネーが普及していくことで

物理的な『お金』から

徐々に遠ざかりつつあります。

つまり、価値の交換はどんどん

非物質化してきているわけです。

純粋に

『エネルギー的になってきた』

とも言えますね。

言葉に関しても、

実は同じようなことが言えます。

かつての言葉=文字は、

それが大切であればあるほど

強固な素材に刻まれました。

最たるものは石碑です。

石に刻まれた文字は、

何百年、何千年と残ります。

そこまでいかなくても、

木や竹に記された文字は

とても大切にされました。

短冊状に加工された木簡や竹簡です。

しかし、その後に出てきた紙は

手頃であることを特徴としました。

便箋に縦の罫線が入っているのは、

簡易な素材である紙を木簡に見立てて

賢威づけようとした名残りです。

いずれにせよ、

物質に載せられる文字は

『残されること』

を価値にしました。

『本を出したい』人の多くは

自分の生きた証、存在証明として

本を残したいと考えています。

しかし、現在では文字の多くは

ディスプレイの明滅によって表されます。

残されるものではなく、

『伝える』ことに特化されているのです。

伝えることの『純化』

と言っても善いかも知れません。

かつての文字は物質化することを目指し、

どちらかと言えば、人の気持ちを

落ち着かせるものでした。

墓石をイメージしていただくと顕著です。

一方、ディズプレイ上の文字は

行動をうながす力に『価値』が宿ります。

前者が静なら、後者は動。

あるいは、

冷却と加熱と言えるかも知れません。

ネットの言葉は

燃えやすいですよね(笑)

お金も文字も、

徐々にその姿と役割を変えてきています。

コロナ禍は、

その変化をさらに加速させていますが、

しっかりと思いを持ち、

主体的に動いていきましょう!

未来は自分でつくれます!