知らない人ともシェアをするとは?

この投稿は、2019年9月12日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。

リアル優先の感覚とサイバー空間優先の感覚の違いに

具体的に気づき始めた頃の思考と言えます。






移動時間などを考えれば顕著ですが、

いろんなことのスピードは

時代とともに速くなってきていますよね。

 

たとえば、

それをテンポと考えればわかりやすくて

いくら4ビートが好きでも

まわりの人が全員8ビートになったら

のんびしりした印象になります。

 

人も企業も、もっと言えば国家も

時代に対してテンポや音階を

チューニングし直す必要があるわけです。

 

 

もちろん、

『絶対に4ビートがいいんだ』

『まわりが8ビートだからこそ

 4ビートに敢えてこだわる』

といった意識化が

きちんとできている場合にはいいでしょう。

『結果、

 一人になってもこれをやる』

という決意まであれば、なおさらです。

結果も自分で受け入れるわけですから。

 

問題は、

自分を『標準』だと思っている場合の

『遅れ』ですね。

何が起きているかわからずに

『なんだかあわない』

『うまくいかない』

と思っているケースです。

 

 

インターネットの時代になって

『シェア』するという感覚が広がりました。

簡単に言えば『共有』ですが、

かつての共有が地域共同体や運命共同体の

『中』で行われていたのに対し、

ネットを介したシェアは

『外』に開かれた共有です。

一旦人類が都市化をくぐった後の

『共有』と言ってもいいでしょう。

 

何が違っているかと言うと、

『カッコイイ』の価値観です。

都市文化は知らない人同士が

いきなり接する緊張感から生まれました。

結果、攻撃的で孤独であることを

カッコイイとしたわけです。

 

ただし、その感覚はしんどいものでした。

心休まることがなく、

常に緊張していなければならないからです。

 

そうした疲弊への反動でもある『シェア』

知らない人同士でも

情報やモノを共有しようという感覚です。

そこでは、オープンマインドこそが

カッコイイんですね。

つまり、

知っている人同士で共有するのではなく

先に共有があって、その後

お互いを知っていく感じでしょうか。

 

 

時代の流れがそうなってきているのに

『これは俺だけのもの!』

と囲い込むのは、かっこ悪い人にうつります。

つまり、

置いていかれてしまうということですね。

『不易流行』の観点で言えば

『与えることが先』という感覚は

ある種普遍/不易なものですが、

『知らない人に対しても』というのが

今の時代の感覚なのだと言えます。

 

これ、いろんなことに当てはまりますよね?

未来は自分でつくれます!