答えがないことを恐れない

この投稿は、2020年4月2日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。

コロナの影響が本格化していく中で、

何人かの友人を励ましたいと思って書きました。

まだまだコロナ禍は続いていますから、

今でも有効な呼びかけだと感じます。






学力テストという仕組みには

『正解』があります。

一方、『社会の現実』というテストには

『正解』がありません。

よく指摘される違いですし、

わたしたちの多くが

『そりゃ、そうだよね』と思っています。

だからでしょう。

今では、いたずらに正解を求める教育は

かえって弊害が多いとみなされたりもします。

そこのところ、

もう少し丁寧に見ていきましょう。

一旦フラットに考えて、

正解があることのメリットは何でしょう?

もちろん一つには

確実な方法を身につけられることです。

正解に至る道がわかれば、

次回からその道を通れば間違いがありません。

しかし、

さらにもうひとまわり大きな枠組みとして

『正解を知っている人がいる』

という安心感があります。

たとえ一人でも、

『正解を知っている人がいる』のならば

その人に聞けば、答えはわかります。

逆に、誰も正解を知らないとしたら、

答えを出そうとすること自体が

むなしく感じられるかもしれません。

また、ちょっと怖いですよね。

その道を進むこと自体が。

そこには、もちろん個人差はあります。

『正解がないからこそ、おもしろい』

とワクワクできる人から

『正解がないんだったら、考えるだけ無駄』

とションボリしてしまう人まで。

グラデーションのような可能性があります。

そして、

『もう少し丁寧に見ていきたい』としたのは

特に後者に関してです。

というのも、

コロナショックの不安とは、まさにその

『正解を知っている人がいない』

状態から来るからです。

確かに科学的・医学的、あるいは政治的に

有益性の高い考えを提示できる人はいます。

しかし、

どれも『正解』とは限りませんし、

それを正しいかどうか判断するのは

最終的には、自分自身です。

外出一つ取ってもそうですね。

コロナショックに

敢えて『不正解』を設定するならば

それは『考えることの放棄』です。

『あきらめる』ことと言っても

善いかもしれません。

たとえ答えがなくても、

あきらめない。

コロナテストで試されているのは

実はその姿勢ではないでしょうか?

あきらめない限り、

必ず道は開けます。

未来は自分でつくれます!