記号の国としての日本【和の再考】

更新日:2月16日

この記事は、2019年12月20日

アメブロに書いた記事を再編集したものです。

『和』というイメージに対して

新しい解釈をし始めた頃の記述です。





フランスの哲学者ロラン・バルトが

日本に関する考察をつづった

『表徴の帝国』という本があります。

タイトルは

『西洋世界が「実存の世界」であるのに対し、

 日本は「表徴(記号)の帝国」である』

という意味です。

バルトはその特徴を、たとえば日本人が

やたらに写真を撮ることに見ています。

何かを『記録しておきたい』という

意思のもとで撮影をするのではなく、

『とにかく撮っておけ』という心情が

確かにわたしたち(日本人)には

ありますよね。

そのことの指摘です。

善いとか、悪いといった

価値判断の必要はひとまずありません。

ただ、変わった人たちですよね>日本人

わたしは、文字表記にそうした特徴が

もっとも端的に表れていると考えています。

中国から輸入された漢字をベースにして

ひらがなカタカナをつくり出し、

さらにはアルファベット

アラビア数字も取り込んで使いこなす。

それほど複雑な文字表記をする国は

世界でも日本くらいです。

なにしろ、表意文字と表音文字が

縦横無尽に入り混じっていますから。

『和』という文字は

日本の心を表しますが、

一方で『足し算』も意味します。

そして、奇妙なことに

それは日本にピッタリと当てはまります。

なんでもかんでも足していくからです。

混ぜ合わせて別のものにする

掛け算でもなければ

逆算思考の割り算でもない。

ましてや、違いにフォーカスする

引き算とも違う。

力をあわせることをもって

『和』とする文化は

世界に誇れるものだと思います。

未来は自分でつくれます!