遅れても、歩みを止めないことが大切です

この投稿は、2019年8月30日 アメブロに書いた記事を再編集したものです。

今ではもっと考えが深まっていますが、

基本的な『思い』のようなものは変わりません。

『進歩』に対するわたしのスタンスは

熱狂的なものではなく、

熱量を持ちながらも、デリケートなのだと思います。





アメリカにアーミッシュという宗派の人たちがいます。

もともとはヨーロッパにいたキリスト教の一派で

迫害されてアメリカに逃れ、かの地に定着しました。

 

と書くと、

こじんまりとした集団のように思われるはずですが、

アーミッシュは全米で20万人近く存在する

キリスト教の一大宗派です。

 

彼らは、18世紀の生活様式を頑なに守り、

原則として現代の機器を使用しません。

『昔ながらの生活』

をずっと続けているわけです。

 

 

進歩について考える時、

わたしはいつも彼らのことが思い浮かびます。

ある種の羨望をもって。

 

進歩思想は

時間の一回性を強調したキリスト教からしか

生まれなかったと言われますが、

だからこそ、進歩することの弊害を意識する宗派が

キリスト教の中に育ったのでしょう。

 

『進歩』の対語は『退化』と思われがちですが、

本来は『永遠』です。

『退化』というのは、逆ベクトルへの移動ですが

『永遠』は同じことをくり返すエンドレスであり、

それこそがエンド(目的)を目指す『進化』

対極にあります。

 

 

ただし、アーミッシュのように生きることは

今となっては難しいですね。

彼らは18世紀の段階で

『それ以上進化することをやめた』

のであり

時代に逆行したわけではないからです。

 

つまり、彼ら自身は『永遠』を選択したわけですが、

今から同じことを真似ても、

それは『退化』にしかならない、ということです。

 

 

しかし、往々にしてその『錯覚』は起こります。

同じことのくり返しによって

時代に取り残されている『退化』

『永遠』と取り違えることです。

 

昭和的な習慣から離脱することへの呼びかけも、

企業の活動を刷新する『第二創業』

実はその『錯覚』に対する働きかけと言えます。

 

時代遅れになってしまった個人や組織のあり方を

時代に対してチューニングし直す営み

だからです。

 

 

『変わらずにいたい』

『穏やかさはくり返しの中にある』

という考えは、心情的には痛いほどわかります。

わたし自身にもそうした傾向が強くあるからです。

 

けれど、今さらアーミッシュにはなれないように

近代主義の流れの中で止まってしまうことは

『永遠』ではなく『退化』でしかありません。

 

流れに入らなことと

流れの中で止まることは違うのです。

 

 

日本がキリスト教的進歩思想を取り入れたのは

約150年前。

そこから太平洋戦争の敗戦までは

四半世紀(約75年)でした。

それは、民族的な(と敢えて書きますが)

深層心理に神道や仏教を残しつつ、

その上にキリスト教的あり方を上乗せした

複雑な75年だったと言えます。

 

さらには、敗戦によって宗教的信心そのものを

抱かないように管理されましたから、

次の四半世紀ですっかり土壌が

痩せてしまったわけです。

 

 

誰が悪かったという話ではなく、

希望や願いもふくめた大きな願いの結果が

今日の日本の姿と言えます。

いずれにせよ、日本の元気の無さを

根性論だけでなんとかしようとするのは

それこそ昭和的な発想ですね(笑)

 

今は土壌が痩せてしまっているわけですから、

むやみに耕すのではなく

丁寧に種をまき、優しく見守るべきでしょう。

信じて育成を続ければ、

必ず花は咲きます。

たとえ遅れをとっても、立ち上がれば

道は続いていますから。

未来は自分でつくれます!